縄文小説

「縄文小説 森と月と海  五千年前の愛と魂」

★概要

縄文時代の祖先は、何を信じ具体的にどのように生きていたか?
この問いかけに応えるため、臨床心理学やエコロジカルな縄文学の知識掘り下げ、5000年前の愛と魂を信じた祖先の小説/叙事詩にしてみました。
小説/叙事詩の枠組みには約5000年前の縄文中期の十二号人骨が発掘された新宿区加賀二丁目遺跡、水産加工所遺跡ともいわれる東京北区中里遺跡、長野県星糞峠の黒曜石採掘遺跡、富士山の麓の上中丸遺跡、多摩ニュータウンの縄文遺跡、三内丸山遺跡、20歳代女性の障がいを負っていたと見なされた入江貝塚の遺骨などを考慮し、本格的歴史小説(紙の本では274ページ)の枠組みで書いたものです。

★目次
プロローグ
(1)    幼年時代 ヒッキリとタバッタの村
(2)    大巫女会議
(3)    少年時代の冒険
(4)    事件 愛とゆるし
(5)    海へ 和解と平和
(6)   オリザの死
(7)   泉のほとり
(8)    フジの怒り 愛と真善美
(9)    愛と魂
(10)  族長会議
(11)  筑波のまつり
(12)  三内丸山へ
(13)  大津波
(14)  ヨリの死
(15)  マポの死
(16)  栗名月(十三夜)のめでたい光

謝辞
参考文献
主要登場人物関係図
主要登場人物点描
年表と小説に関係する主な遺跡
地図
著者略歴
★著者略歴

1951年東京生まれ。

7歳のときにアラスカ、シトカに父の仕事の関係で約一年暮らす。都立日比谷高校を経て慶応義塾大学・管理工学科に進学。福川研究室で実験心理学の分野の卒業論文「非線形関数の直観的学習」

1975年4月横河ヒューレット・パッカード(現日本ヒューレット・パッカード)入社

コンピュータの営業、マーケティング、営業グループ長などを経て2003年日本ヒューレット・パッカード退社。生き甲斐の心理学を応用すべく、グループリビング建設を目指し福祉系NPOや有料老人ホームで働く。2000年より心理療法家植村高雄の私塾ユースフルライフ研究所で臨床心理系の生き甲斐の心理学を学び始め、2008年以降は「生き甲斐の心理学」普及の仕事を中心に活動。地域での勉強会やブログ「イキイキと生きる!」を執筆、掲載。

特定非営利活動法人CULLカリタスカウンセリング学会の理事(2005年より2021年)。
現在講師として活動。
特定非営利活動法人国際縄文学協会会員

八王子市在住

★ブログ:

「イキイキと生きる」http://blog.goo.ne.jp/hiroyuki-mori051201

★ホームページ:

「縄文の森を楽しもう!」http://jomonforest.com/wp/

★本書プロローグより抜粋

縄文時代は今より明らかに、人の魂を意識していた文化だ。平均寿命も三十歳くらいと推定されており、生と死が生活の中で強烈に意識されていたようだ。
ところで、旧約聖書の出エジプト記(3~14)には、私はある(I am that I am)という神が登場する。不思議な言い回しだが、実はこれが私の私的な16年前の体験につながってくる。近寄りがたい異次元の世界に存在する神秘、それにも関わらず親しく自分を愛してくれる全能の実感を持った存在。サムシング・グレイトと言ったら良いのか。
旧約の時代も、名前のある神はたくさん存在したと思う。初めて人類が文字を持ったのは、さらに時代を遡るメソポタミア文明だが、名前のある神は何千と存在した。
しかし、何故〈私はある〉という、不思議な神が出てきたのだろうか。おそらく、生命体の創造とか、全能性といった人間の限界を超えた神という意味合いが含まれているのだろう。

私たち日本人の祖先はどういう神を信じたのだろうか。この小説(叙事詩)の舞台の縄文中期は、四大文明では唯一メソポタミア文明が花開いていたが、このメソポタミア文明では文字が使われ宗教や神話の話もたくさん残っている。
しかし、縄文文化は残念ながらメソポタミア文明のように文字をもっていなかったのでよくわからない。これは、何か劣っているように感じられるが、本当はどうだろうか。ただ、文字による記録はなかったことは事実で、残念至極である。とはいえ、土器に描かれている図像などから、七世紀に日本書紀等に記された日本神話の原型が既に存在していたという研究も今では発表され、文字以外からのアプローチも可能であるようだ。
当時の日本列島は、メソポタミア文明と異なり人間同士の収奪・戦争は殆どなかったようだが、カルデラ火山の大爆発や地震・津波など未曾有の自然災害があり、祖先は、その悲惨さを生き抜いてきている。そうした厳しい現実の中で、〈私はある〉という神秘も現れたのではないだろうか。ただ、それを敢えて文字で表現することはなかったに違いない。むしろ、文字を持たなかった一万年以上続く文化そのものが、無名性を持つ〈私はある〉という神秘を信じていた文化なのではないだろうか。
時代は下がるが、西行法師が伊勢神宮で書いたという歌がある。
「何事の おはしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」
この歌を味わうと、神仏の愛の実感に共感してしまうのだが、こうした心情は縄文時代から脈々と流れていたのではないだろうか。

さて、この小説では主人公マポが登場する。実はマポのイメージは、新宿区加賀町二丁目遺跡で発見された五千年前の十二号人骨から生まれた。2015年の春、新宿歴史博物館で「新宿に縄文人現(あらわ)る」という特別展が開催され、私は胸を躍らせて展示を拝見した。十二号人骨は部族の長だったようで、マイルカの腰飾りなどの副葬品もあり、頭部には頭蓋骨が陥没するほどの傷痕と、その後の治癒のあとが残されていた。DNA検査等から彼の遠い祖先が大陸の北方であることや、当時の食べ物の傾向、死亡した年代まで判明していた。
私は、十二号人骨が発見された市ヶ谷の近くで育ったこともあり、また、今住んでいる多摩も大規模な千年村の縄文遺跡があることから、時間さえあれば身近な縄文遺跡周辺を訪問しつつ、マポを夢想してきた。マポの誕生から死まで、そこにどのようなことが繰り広げられてきたのか。また、この二~三年は、日本各地の有名な遺跡も訪れた。近郊の貝塚を訪ね、水産加工所遺跡ともいわれる東京北区中里遺跡、、富士山の遺跡、信州の鋭利な切れ味を持つ黒曜石採掘址遺跡、北陸の翡翠(ヒスイ)やウッドサークル、秋田の大湯遺跡、青森の三内丸山遺跡、是川遺跡、そして地元の多摩の遺跡。こうした旅で小説のイメージを膨らませた。
マポは1991年にヨーロッパのアルプスで偶然に見つかったアイスマンとほぼ同じ時代の人であり、イメージを膨らませていくと小説でリアルな輪郭が書けそうだった。ただ、考古学をはじめ民俗学、神学、宗教学、臨床心理学、遺伝子工学、古代天文学、さまざまな知識が必要になってくる。いずれも初学者の域を出ない私であり、至らぬ点は多々あるが書きたい衝動を止められず、臨床心理学の論文が一応完成した後も、論文の一部だった小説に手を加えてきた。そしてまた、私にとっても初めての小説を公に上梓することになった。

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